6月19日は「ご近所おやぢバンド」の弟バンドと勝手に呼んでいるG-tr.のライブでした。
「ごきおやファミリー」の皆様にはお忙しい中、遠方よりまた足元の悪い中応援に来て
いただきありがとうございました。
久しぶりの爆音で、「しろくま君」のヴォーカル、ともちゃんの軽快なピアノ・プレイに
煽られて、ロックの血がふつふつ沸いてきて、ちょっと「やりすぎたかな???」なんて
思っておりますが・・・・しかしハードロックの曲では無かったんですけどね(汗)
今度は「ごきおや」のみなさんと共演・・・なんて大それた事を思っておりましたが
よく考えると「ギターぢい」は体力が持たないでしょ~な~
ほんとにお忙しい中ありがとうございました!
さて、長らくのご無沙汰でございました。
最後に紹介するギターは、ななななんと3月に購入してしまいました
GIBSONのSGというギターです(汗)。
大体GIBSON社で作られているギターは、結構重量がある重いものが
多いのですが、このギターはボディが薄くてたいへん軽量です。
また、他のギターに比べてネックの隅々まで手が届きますので、高い
所も楽々弾く事ができます。
このギターも音程を変えられるアームがついていますが、前に紹介した
フェンダーのものよりも原始的なものがついているので、「ウイ~ン」と
やるとチューニングが狂いやすいです。
まあ弾いている人間自体、チューニングが狂っているので仕方ないの
ですが、このアームでギュンギュン弾く際は、特別の修正方法を使いながら
弾いております(とはいっても単純な事ですが)。
話し変わって、今夜から美濃加茂の「とある」居酒屋で「ミニ流し」を
やっちゃいます。演歌の世界ですなあ・・・・・
この時は、エレキではちょっとまずいので、「しろくま君」のエレアコ(普通の
生ギターにピックアップがついていてアンプにも通せるギター)をお借り
しようという・・・・「えれーあ事」を考えております。
これで僕の持っているギターは全部でございます。「そんなに何本も
持ってても弾けるのは一本なのに・・・・」と思われる方、その通りでございます。
まあ一番に思ってるのは家族だと思いますが・・・・・・・・
次は不定期に他の機材も紹介しますね。
しばらくご無沙汰しておりました。今日の1本ですが、僕が持っている唯一のヴィンテージ・ギターで1962~
1964年頃に作られたギブソンのES-335です。ギブソン社というのは結構いい加減なところがあり、製造
年が特定できない所があります。大体はシリアルナンバーから判別できるのですが、このモデルのこの頃の
年代は難しいのです。
これは構造がセミ・アコースティック(いわゆるセミアコ)となっています。普通のエレキがソリッド(板)と呼ばれ
アコースティック・ギターがフル・アコタイプと呼ばれますが、その中間のボディが空洞ですがボディ厚は薄い
のが特徴です。
このギターは普通のソリッド・エレキと違ってボディが空洞の分、すごく「甘い」音が出ます。ジャズやフュージョン
また演歌なんか気持ちよく鳴ってくれます!!!「ごきおや」のライブではシャープな音が合っているので、この
ギターは余り使用しておりませんが、またジャズなんかの話をいただいた時はどんどん使用していきます。
※ジャーマネのまこっさんから写真の後ろの柱のような所(実はドアのヒンジの方ですが)が無い方がいい
といわれましたが、以前に撮った写真を流用しております。
これで僕の持っているギターをすべて紹介させていただいたのですが・・・はずだったのですが・・・
実はよせばいいのに、今回もう1本ギターを購入してしまいました(汗)。実はこのシリーズを始めたのも
種明かしをすると購入予定があったからでございます!
ただ今、新しいギターは調整中です。近日紹介しますね!
今日の1本は「ギブソン・レスポール」の59ヒストリック・モデル、通称「バースト」です。
これも先日紹介したゴールド・トップと同じ99年製です。このバーストはトップに木目が
出ていて、この目の出方で同じギターでも値段が違う・・・というものです。
このギターもその木目(虎の模様のようなのでタイガー・ストライプと呼ばれます)が
出ていますが、そのストライプも見る角度、光の当たる加減で見え方が違ってきます。
まるで違うギターの様に見える時もあります。
これも10年以上弾きまくっていますが、購入当時はもっと「赤い色」でした。経年変化で
赤が褪色してきています。
このギターのオリジナルは1959年に作られたものですが、今そのオリジナルは、な・な・なんと
数千万の値段がつけられております(程度、木目によって違いますが)。
ゴールドトップとほとんど仕様は同じですが、音の出方は全然ちがいます。こちらのバースト
の方が、弦の音がダイレクトに出てきます。ブルースとかバラードとか感情的な曲にぴったりです。
いやいや濃い内容ですなあ・・・・・ここらで近況をひとつ・・・・
1週間ほど前から、なんと禁煙をしております。数年前に11ヶ月ほど禁煙したのですが、その頃は
「日本」と「フィリピン」の友好大使をやっており(???)、とあるパブで隣に座った女の子がたばこ
を吸うのをみて「どれ1本くれてみい」から始まり、11ヶ月が水の泡となりました。
しかし、禁煙により体重増加が怖い・・・・この頃であります!
今日の1本は「ギブソン・レスポール・ゴールドトップ」。これは99年製の57ヒストリック
コレクションです。エレキ・ギターの名器といわれる1950年~1960年初期に生産された
いわゆるヴィンテージを復刻したモデルです。
ヴィンテージと呼ばれるギターは、生産本数も少ない事から、今では数千万の値が
ついているものもあります。
僕がギターを弾き始めた頃は、ヒーロー達はこの「ギブソン」「フェンダー」というアメリカの
2大メーカーのギターを使用しており、またその頃は値段も高くて、楽器屋さんでも一番奥、
それもショーケースの中に保管されていたのです。
ちょっと試奏させて欲しい・・・なんて頼むと、楽器屋の兄ちゃんから「何者だ?冷やかしなら
帰りナ!」・・・くらいの勢いで見られたくらいでした。
少年達はそんな屈辱をバネに「いつかはギブソン、フェンダー」という夢を持つのでありました。
※あれ?いつのまにか前に連載したヒストリー風になっております(汗)。
ということでこのギター、前に紹介した黒いレスポールと形は似ていますが、ボディが軽い
分、軽い音がします。こういう音の方がオールマイティな音楽に対応できます。
今日の1本は「フェンダー・ストラト・キャスター」製造年はわかりませんが
これも20年近く弾いているギターです。
ハード・ロックをバリバリ弾いていた時期にこのギターを回したり、足で弾いたり
周りにあるものに擦り付けたり、いろんなパフォーマンスをしたためボディにもかなり
キズが入っています。あまりの激しいパフォーマンスに「ストレス・キャスター」と呼んで
おりました・・・
それでも今でも現役でよく鳴ってくれます。今ではステージでは大人しくなりましたが
このギターを持つとロックの血が「ふつふつ」沸いてくる・・・・そんな1本です。
このギターは普通のギターと違って裏のスプリングで弦のテンションをとっています。
トレモロ・アームというのがついているからなのですが(右側に見える棒で音程を
上げ下げできるのです)演奏途中で弦が1本でも切れようものなら、チューニングが
全部バラバラになってしまいます。
頭の中のチューニングはいつも滅茶苦茶ですけどね・・・・・
立春とはいえまだまだ寒いこの頃、皆様お元気にお過ごしでしょうか?
先日、長々とした自己紹介を終え、次のネタを探しておりましたが、たまには
自称ミュージシャンらしく自分の愛器を紹介したいと思います。
長いギター弾き人生の中で使用した楽器もたくさんありました。売って新しい
楽器を買った(ころがしといいます)事もあり、一時期は楽器の為にこづかいを
使い果たしていたこともしばしば・・・
興味の無い方からは「どこがちがうの?」と思われるでしょうが、エピソードと
ともに紹介してまいります。
まず、今日の1本「ギブソン・レスポール・カスタム’79年製」通称「ブラック・ビューティ」
です。
このギターは新婚当時、まだ愛のあった頃(今でもラブラブですが・・・汗)嫁に
買ってもらったものです。間違っても騙した訳ではございません。
すごく重量があるギターで、音もヘビー、ハードロックやメタルをやるにはピッタリの
ギターです。そういえばみのちゃんのベースもかなりの重量がありましたなあ・・・
1本のライブが終わると左の肩がばんばんにはってしまいます。
写真ではわかりにくいですが、ネックの裏、ボディの裏には使い込んだキズが
入っております。
ご近所おやぢバンドとの「合体」はみのちゃんの電話からでした。
確か大垣でバンドの依頼があり、ギターを弾いて欲しいとの事・・・・・・・
最初は、みのちゃん、よっちゃんと僕の3人だったと記憶しています。
練習も確か2回程度しかやらなかったのですが、大垣ではかなりの好評
をいただいたのを覚えております。その後も何度かいろいろな場所に呼んで
いただきました。
そしてその後、たっちゃんも加わり今の「ご近所おやぢバンド」となったのです。
このバンドに呼んでいただいて一番ビックリしたのは、「歌心」でした。今まで
いろんなバンドで弾いてきましたが、大体楽器のテクニックを磨くのに重点を置き、「歌」
というものを軽視していた事に気がつきました・・・・
曲を表現するのに、肉声に勝るものはありません。今でも「ごきおや」の3人の
ハモリを聞いて鳥肌が立つことがあります。これは経験したことがありませんでした。
わたくしめも唯一の40代からめでたく卒業して50代に足を突っ込みました。
何と孫までできて「ぢい」になっております。
今までの音楽人生を振り返ってみると自分には「いい出会い」がたくさんあったと
感謝しております。またこれからも出会いはたくさんあるでしょう・・・・・・
最後になりましたが、やっぱりここまで音楽を続けてこれたのは、家族の理解が
あったからです。「いやな顔」ひとつもせず、みっつくらいで音楽活動を許してくれた
からだと思っております。
これからも、音楽人生は続いていきます。みなさんよろしく!
長々とお付き合いどうもありがとうございました。 -完ー
さて、ロビーであったたっちゃんですが、最初見た印象は俳優の「阿藤快」さんによく似てるなあと思いました。アコギを抱えて発声練習がてら歌っていましたが、しぶ~い声だなあと思ったのを覚えております。
そのときは一人で弾き語りで歌うのかなあ・・・・・と思ってました。
その時の「タカダ音楽教室」の発表会のプログラムに「ご近所おやぢバンド」という名前があったのですが最初はこの発表会のために集まるバンドだと思っていました。まさかこんなにいろいろ活動しているバンドだとは思ってなかったのです。
発表会ではいろんな方のバックでギターを弾かせていただくので、いつも楽屋で譜面を確認したり、ちょっと練習したり・・・・・という名目で「ガソリン???」を補給させていただいております。
そして初めて「ごきおや」の演奏を聴かせていただきました。とにかく僕の年代では「うわ~なつかしい~」というくすぐられる選曲でした・・・・・今まで長いバンド暦を過ごさせていただきましたが、昔のGSやベンチャーズまたビートルズなどの懐かしい曲をやっているバンドはあっても、この「ごきおや」のレパートリーをカバーしているバンドというのは見たこともありません。みのちゃんはベース・ピアノのプレイヤーだと思ってたのですが、「あ~れ~歌ってる!」またよっちゃんはこれも懐かしいハードロックのカバー(実はろば君、こちらの方がルーツかもしれませんが)でドラムを叩いていると思ってましたが「え~歌ってる!」
そして先程、弾き語りで歌うのかな?と思っていた、たっちゃん・・・・・・「げ!すごい渋い声!!!!」これが、この「ご近所おやぢバンド」の初体験でした。
そして、「釣りバカ日記」ではございませんが、数年後・・・・・・・「合体!」となるのです。
長々とありがとうございました。次回は最終章「感動のフィナーレ編」です。
新年そうそうだらだらと引っ張っておりますが・・・・・本年もよろしくお願いいたします。
さて、そのMというスナックでよっちゃんさんと初体験(もちろん音楽の話ですよん)させていただいたのですが、お客様のバックで気持ちよく演奏させてもらいました。このスナックではみのちゃんさんの奥様とも初めてお会いし、キーボードも弾いていただきました。
このスナックでも大変お世話になり、控え室で食事をいただいていたのですが不思議な事に気がつきました。前回、書いたスナックでみのさんとの出会いの時のみのさんの印象は「物静かな優しい人」というイメージでしたが、控え室ではよっちゃんさんと「おやぢギャグ」の爆発!!!!また演奏が終わってからお店で「チャゲアス」の曲を二人で替え歌にしてハモっていました。その頃はもう中年になっていたろば君、まだまだ可愛く「猫」をかぶっていたのですが、「もしかして・・・・・・同類?」と感じたのです。
残念ながら、そのスナックでのイベントは終わりになりましたが、みのさんご夫妻からは、その後も演奏の機会をたくさんいただく事になりました。 このブログでも紹介されているようにみのさんご夫妻が主催されている「タカダ音楽教室」の毎年の発表会にも呼んでいただき、いろんなセッションをさせていただきました。この発表会は、未来のミュージシャンの子供さん達の演奏やら、ダンスやら、音楽的なものはすべて発表されるという楽しいイベントで毎年楽しみにしております。
他にも、演歌歌手「杉野裕二さん(字が違ってたらすみません)」のコンサートにも呼んでいただき大きなステージを経験させてもらったり、他のイベントにも多数、参加させていただきました。
さて、話は戻りますが、「タカダ音楽教室」の発表会の時に、ロビーに出てみると、アコギを抱えてロビーで歌の練習(?)をしながら話をしているおぢさんがいました(何だかややこしい話ですが)。 それが・・・・・「ごきおや」のフロントマン 宮崎たっちゃんさんだったのです!