何とか無事に高校生になったろば少年でしたが、
高校には、嬉しいことに軽音楽部があり、入学早々
入部しました。先輩達はどちらかというとフォーク系が多く
エレキギターを弾く人はほとんどいませんでした。
ろば少年は相変わらずベンチャーズの曲を聴いていましたが、
新しくできた友達の家で聴かせてもらった洋楽のロックに
衝撃を受けます。歌詞は全然意味はわかりませんでしたが
今度は毎日ハード・ロックのベースラインをコピーし始めました。
しかし、秋の文化祭に出演が決まったある日、何とろば少年はベースではなく
リード・ヴォーカルをやる事になったのです。
これは、今ではベースの重要性はよくわかっているのですが、当時は
かなり地味に思い、「こりゃ目立つのならヴォーカルだ!」と思ったのです。
エレキ・バンドが少ない事もあって、文化祭当日会場は満員でした。
その頃はPAシステムなんてものは借りれませんから、校長先生が挨拶するスピーカー
と貧弱なマイクでした。楽器はアンプをフルヴォリュームにしてハウリングが
起きる中、ろば少年は一生懸命歌いまくりました。
自分では気持ちよく満足したつもりでしたが、録音されていた
カセットを聴いた途端、松田優作ではありませんが「なんじゃこりゃ~」
でした。音程は外れ、声も何だか気持ちが悪い・・・・・
それから今日まで歌を歌いたいと思ったことはありません・・・・・
(飲みに行った時はマイクをはなしませんが)
それから、一度はベース弾きにもどった少年でしたが、またまた変な気を
起こすのでした。「こりゃ歌がだめなら、ロックのもう一つの花形楽器ギター
を弾こう」と・・・
夏休み・冬休みは泊り込みで近くの温泉にバイトに行き、やっとの思いでギターを
手に入れました。ろば少年はこの時高校3年になろうとしておりました。
軽音楽部とはいってもなかなか発表する機会はありませんでしたが、この頃から
ヤマハのコンテストが高山市で行なわれるようになり、はじめてギター弾きとして
ステージに立ちました。とにかくめちゃくちゃ弾きまくったのですが、結果は
バンドとしては3位、そして何と「最優秀個人賞」なるものをいただいてしまったのです。
それからというもの高山市のバンドからもいろいろ話をいただくようになり、ちょこちょこ
ライブにも出演するようになりました。いろんな出会いが多いといろんな誘惑もあります。
ろば少年もどんどん「大人」になってきました。
そして高校生活最後の文化祭を迎えます。この時に大事件が起こります。
※保護者の皆様へ、これより青少年の皆様に悪影響を及ぼす内容が含まれます・・・